元理系院生の英会話学習記録

元理系大学院生が留学生とのコミュニケーション能力の向上と国際学会への参加を目指していた頃の英会話学習の進捗と,社会人になってからのゆるい英語学習の記録

中学時代の思い出と言語学習への愛を語る記事

おはようございます、まひるです

今後書こうと思っている記事は
・国際学会で感じたアジア人とその他の人々の英語
TOEIC全般に関して
なのですが、今日は最近よく思い出す、英語に関する中学時代の思い出について書いていきます


今でも英語の勉強を続けられているのは、その必要性に迫られているからという理由以外にも単に「外国語の学習が好きだから」という理由もあります
この記事を読んでも特に有益な情報が得られる訳ではないのですが、私と同じように英語の学習が好きな人がいたら、音楽とか映画とか文学とか化粧品とか、それらを好きな人がその愛を語るのを聞くように読んでいただけたらうれしいです


小学生の頃にも1ヶ月に1度程度ALTの先生が来校して簡単な挨拶を交わしたりする英語の学習があったような気がするのですが、私が中学に入学した今から10年以上前の2007年では、ほとんどの日本人が中学校に入学してから本格的に英語の学習を始める時代でした

私は大学に入学するまで、地方の、それはそれは閉鎖的で貧しい田舎町で暮らしてきました
まず、子供がいない。小学校から中学校までずっと1学年1クラスで、私の出席番号は9年間ずっと20番でした
私の生まれた家庭は相対的に裕福であったので大学院まで奨学金を借りずに出してもらうことができていますが、大学に進学できるのは裕福な子か、実家から通える国立大に入学できる学力がある子だけで、全体の1/3にも満たなかったと思います
男尊女卑も普通のことで兄は東京の公立大に進学させてもらえたけれども、それよりも学力の高い妹が高卒で公務員として働くようなケースもありました

私がそんな中で、英語学習を好きになったのは、中学3年の時に授業を担当した英語の先生の影響がとても大きかったと思います
日本の英語の先生は、ALTの外国人講師にまったく話しかけようとしないとか、TOEICの点数が低いとか、発音がひどいとかよく批判されていますが、その先生は(今思うとなんであんな田舎町の公立中学校にいたのか分からないくらい)熱心で、英語を愛していました
逆に言うと、私にとっては生涯で最も影響を受けた先生のうちの一人になりますが、他の多くの学生たちには「変わってる」とか「性格が(閉鎖的な田舎町では)受け付けられない」なんて言われていました

先生の英語の授業は、その月に習う英語の新しい文法を含んだ曲を歌詞が印刷された紙を見ながら歌を歌うところからスタートします
著作権的に古い歌しか無いと噂されていましたが、教育目的の場合は著作権に関する面倒ごとを免除されると習ったのは高校生のときだったか、、、QueenのI was born to love youとか、Daniel PowterのYou Had a Bad Day(当時は比較的最近の曲だった)、あとはElton JhonのYour Songとか、先生の声量が8割くらい響くところから授業が始まったのは懐かしいです
ChicagoのHard to Say I'm Sorryとかは、なぜか私の母も歌えたので父の車の中で一緒に熱唱してました
みんな中学生だったから恥ずかしがってたけど、私みたいに多少なりとも楽しいと思っていたり、影響を受けていた子もいたみたいでした

それがきっかけで、私は洋楽を聞き始めました
最近では初めての政治的発言が話題になっているTaylor Swiftですが、今でも私の部屋にあるFearlessが発売されたのが2008年。中学生でもかろうじて理解できる歌詞も多く、地元のTSUTAYAでJump Then Fallを視聴したときにその音楽性に今でも忘れないような感銘を受けて、なけなしのお金でそのアルバムを買いました
日本ではLady Gagaが流行る少し前だったけれども、Just DanceとかBorn This Wayとかよく聞いてたし、その少し前に流行ったAvril Lavigneのアルバムは先輩に貸してもらってMDに焼き増ししてたなぁ

今でも洋楽(最近はでエレクト・ポップ系のアーティスト)とか好きで、研究の解析作業とか進捗報告資料の作成時にはYou TubeをBGMにして毎日聞いています

そして、中学生だった私にとって一番衝撃的だったのが、Katty Perryの"I kissed a girl"です
これは音楽性がどうこうよりも、「女の子とキスしちゃった」という歌が受け入れられて、発売されて、この保守的な国の閉鎖的な田舎町に住む私のところまで届いたという事実に震えました
この曲は当時アメリカでも、保守的な団体から批判されたというようなことを聞いた気がしますし、今でも欧米ですら同性愛が完全に受け入れられているわけではないのですが、そんな曲が生まれるアメリカという国の包容力に打ちのめされました

今でも西洋人のリベラルな価値観に触れると、私も自分の生まれた町では受け入れらないくらい自由主義的な人間になれるような気がして(実際はなりきれてないから憧れるのだけれども)、そのためのツールである英語の勉強を続ける大きなモチベーションになっています

そして、そんなきっかけをくれた先生に対してですが、洋楽以外にも感謝していることがあります
それは、たまたま私が中学3年のときに英語スピーチコンテストの地区大会に出ることになって、その先生とアメリカ人のALTとで私の発音を徹底的に直してくれたことです
thとかrとかfとかvとか、earnのeaの音とか、いろいろ
今大人になってネイティブからレッスンを受けようとすると莫大な費用がかかりますが、私は中学生の時に手厚く指導を受けるとことができたわけで、本当に幸運でした
スピーチコンテストの地区予選は突破できなかったけれども、これは今でも洋楽以上に本当に役立っているし、本当に感謝しています


逆に高校の先生は外語大卒とか筑波大卒とか、慶応大卒とか上智大卒の英語教育のエリートの人ばっかりで受けた授業のレベルはとても高かったけれども、大学でまで専攻として英語の勉強するまでの必要はないかなと思うに至り、現在は私は平日22時まで研究にいそしむ理系大学院生をやっています
まあ文型の科目って結局独学でも勉強できるってのが私の持論で、下手に法学部とかに進学するよりも理系の方が断然英語が必要となるので、結果的にはよかったと感じています


故郷の閉鎖的なところは本当に大嫌いだしそこから抜け出すために勉強を続けてきた側面もあるのですが、そこに生まれたからこそリベラルな価値観に惹かれたし、すばらしい先生に出会うことができました
またクラスの人数が少なかったからこそ、私は英語スピーチコンテストの出場者に選ばれて、手厚い教育を受けることができました
だから私は自分の生まれに矜持が無いわけでもないし、日本の英語教育が終わってるとは思っていません

また、勉強だけではなく日々の研究や、(最近は全然無いのですが)生きていること自体がしんどいときでも、学力的な理由で進学を諦めた幼なじみが成人式で言っていた「俺も大学に行きたかったんだよね」という言葉を思い出すと、私はこんなところで泣いていたらだめなんだという気持ちになって、また立ち上がることができるようになります

大変長くなってしまいましたが、以上が私が書き残したかったことです